Story
浅草の地を歩けば、あちこちに江戸の残り香が漂い、まるで過去が未来に追いついてしまったかのような錯覚に囚われる。ことに田原町界隈をうろついていると、ただの食事がいつしか歴史紀行に様変わりする。さて本日、我輩が足を止めたのは「鰻やっこ」。名前を聞けば耳がぴくりと動き、腹が小さく唸るのは、なんちゃって文豪たる我が名にかけても当然の反応であろう。
この「やっこ」、ただの老舗ではない。勝海舟とジョン万次郎が鰻を頬張ったというではないか。しかも漱石、つまり我輩の尊敬する文豪も、そっとその暖簾の陰に忍ばせていただいているというのだから、これはもう、行かぬ理由がない。物価高騰、円安、老後資金2000万問題、年金頼りの庶民にとって「鰻」は贅沢品と相場が決まっている。が、ここ「やっこ」では昼時に限って鰻重が「特別価格」で楽しめる。まさに庶民の救世主である。
暖簾をくぐれば、古木の香りが鼻を擽り、遠い昔の会話が空気の隙間から聞こえてくるようだ。案内された席で、我輩は迷わず「ランチ鰻重」と「黒ビール」、そして気になっていた「鰻ハム」を所望した。
まず運ばれてきた鰻ハム、これが実に見事。初めて口に運ぶ品であったが、鰻の旨味が繊維の一本一本にまで凝縮されており、まるで濃厚な詩文を口にしているような感覚に陥る。世の中が合成保存料とやらにまみれた加工肉をありがたがる時代に、こんなにも自然で豊かな味わいに出会えるとは。思わず「食は文化なり」と独り言を洩らす。
そして鰻重。ランチゆえ、量の上では御三家に比べて控えめなれど、香ばしさとふっくら感は一分の隙もなし。蒸しと焼きの塩梅が絶妙で、口に運ぶたびに過去の偉人たちの顔が浮かぶ。もしや隣席で海舟が、「これは中々」とうなずいていたのではあるまいか。いや、あの髭面の下に隠された笑みを我輩は確かに見た気がする。
ちなみに、最近の若者はこういった「歴史ある味」に興味を持たぬらしい。SNSでは映え重視、香りや奥行きよりも派手な断面とタレの照りが命。全く、写真に頼らず味で勝負する「やっこ」のような店こそ、真のインフルエンサーであるべきなのだが。
腹が満ちたら、最後の仕上げに神谷バーに寄り道して電気ブランを一本。鰻の余韻と電気ブランの香りが胃の奥で交わるとき、我輩はようやく「今日も生きていてよかった」と、柄にもなく思うのである。
時代が変わっても、本物の味には理屈などいらぬ。風に舞うのは、ただ食後の余韻と歴史の欠片である。
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