Story
場所は小石川。上野のお山からほど遠からぬこの地には、寺社仏閣が点在し、ふらふらと歩けば文化人にでもなったような錯覚を覚えるのだから恐ろしい。人の徳が土地に染み込んでいるとはこのことか。いや、むしろ徳よりは胃袋に染みる香りの方が勝っている。どうにも我輩の鼻が、地獄の香ばしき煙をかぎとったらしい。
まずは「こんにゃく閻魔」なる名所へと足を向けた。閻魔様がこんにゃくを手にしておられるというのだから、世も末……と思いきや、これが案外慈悲深いお姿である。なにせ、目の病に効くという触れ込みで信仰を集めているというではないか。眼病に効くのはよいとして、我輩の目には朝から鰻が見えておる。これを信心の成就と呼ぶか、はたまた煩悩の極みと呼ぶかは読者諸兄にお任せしたい。
閻魔の御威光に一礼してからは、ついに本日の主目的、うなぎ屋へと向かう。これは決して偶然の産物ではない。予約を取り、予定を組み、スケジュールに赤丸をつけてまで準備した「うなぎの日」なのである。小石川の空が曇っていようと、我輩の心は快晴である。
さて入店。戸を開けて一礼、腰をかけてまた一礼。ふとメニューを眺めると「肝串、予約制」の文字が目に飛び込む。予約を忘れた我が身の愚かさに、しばし黙祷。代わりに頼んだのはだし巻き玉子。これがまた、見事にして卵そのものである。湯気をまとって登場したそれは、我輩の眼鏡を曇らせ、そして心を和ませる。
「アタイじゃないの、待ってんの」と玉子が囁く。黙してうなずく我輩。
しばしして、主役の登場。重箱が運ばれ、蓋を開ければ光が差す。黄金色の鰻がその身を照らしながら「我こそが正義」とばかりに我輩を見据えている。蒸しと焼きの二重奏、その緻密なる手業に、舌も心もひれ伏すほかない。
一口、ふた口、口に運べば、そこに歴史がある。縄文人も食していたという鰻。その骨は貝塚から見つかり、今に続く食文化の祖とでもいうべき存在である。江戸の人々が「土用の丑の日」に食したのも、平賀源内のキャッチコピーに乗せられた結果とはいえ、現代の我々もまんまとそれに従っているのだから、鰻に対する日本人の忠誠心は侍顔負けである。
さて、関東と関西の鰻文化の違いを知らぬ者は、己の舌を半分しか使っておらぬのと同じ。東京は蒸してから焼く。柔らかさの極みである。一方、大阪では直焼き。香ばしさと歯ごたえの共演。どちらも甲乙つけがたし。これはまさしく俳句と落語、茶道と漫才の違いに通ずるものである。
食の中盤、重箱の向きを変える。これは我が家伝来の儀式。山椒をぱらりと振り、香りの魔術に身を委ねる。我輩、しばし時を忘れる。山椒の爽やかさは、脂に飽いた胃袋に救済を与え、まるで僧侶の説法のごとくありがたく響くのである。
奈良漬の音が、隣席の令嬢を振り向かせた。どうやらそのパリリに文化の香りを感じたらしい。我輩の食事、もはや芸術である。
ビールで口を清め、ひと息。胃袋が「ありがとう」と言っている。これは幸福というものである。
外に出れば曇天の空。小雨交じりの風が頬を撫でるが、我輩の心は満腹という陽光に包まれている。
さて、ここで一つ、時事への皮肉を交えねばなるまい。昨今、国会では増税の話ばかり。「円安のせいだ」「物価高のせいだ」と、政治家たちは皆、鰻のようにぬるりと責任をすり抜けておる。だがこの鰻は、逃げも隠れもせず、正面から我々の胃袋に勝負を挑んでくる。なんと潔いではないか。やはり、真に尊ぶべきは、食材の誠実さである。
さあ、次の土用の丑の日には、己の舌を信じて鰻を選ばれよ。我輩のように、腹も心も鰻に委ねてみるのも一興である。
🏮店構えと歴史の風情
春日駅A5出口から徒歩2分の便利な立地。昭和23年(1948年)に魚屋として創業し、現在三代目が暖簾を守る老舗です。ミシュラン・ビブグルマン常連、食べログ「うなぎ百名店」の栄誉にも輝く実力派。店内は20〜30席、テーブル席や掘りごたつ個室も揃い、懐石料理屋のような落ち着きを感じさせます。
🍽 メニューの饗宴
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えんま重:蒲焼と白焼が同時に楽しめる名物重。ご飯よりうなぎが多い!と評されるほど。
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白焼:さっぱり派の人気No.1。外は軽やか、中はしっとりと評判。
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特上うな重(肝吸い付き):脂の乗りとタレのバランスが見事との声多数。
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創作料理:フォアグラと蒲焼のテリーヌなど、フレンチ仕込みの一品もあり。
ランチは11:30〜14:00(L.O.13:30)、ディナーは17:00〜21:30(L.O.20:00)で、水曜・木曜が定休日。予約必須、特に肝焼きや串物は早めの予約をお勧めします 。
🔗 食べログ:https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13042184/
🔗 公式サイト:https://unagiyawatabe.com
小石川にて、文化人のふりをしながら、本物のうなぎに敬意を。どうぞ、鰻のわたべで「腹も心も晴れやかに」なる体験を。
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